音楽プロデューサーという名前は知っていても、「実際にどんな仕事をしているのかな?」と思う方は多いのではないでしょうか。
- 音楽プロデューサーとは?年収はどれくらい?
- 日本の有名音楽プロデューサー
- 若手の有名音楽プロデューサー
- 韓国・海外の有名音楽プロデューサー
音楽プロデューサーは、アーティストの音楽性や方向性を決める「司令塔」となる存在。
有名な音楽プロデューサーにはどんな人物がいるのか、詳しくみていきましょう。
Contents
音楽プロデューサーとは
音楽プロデューサーを一言で表すなら「アーティストや楽曲のコンセプトを決め、制作の中心になる責任者」と位置づけられます。
また音楽プロデューサーは、次の4種類に分けることができます。
- サウンドプロデューサー…音に関わる制作責任者です。アーティストの方向性を決め、音源制作や編集・マスタリングなどを行います。
- A&Rプロデューサー…A(アーティスト)&R(レパートリー)のことで、アーティストの育成から楽曲の選出、宣伝までをトータルプロデュースします。
- アーティストプロデューサー…アーティストの所属する会社側の責任者で、売り出すための戦略やマーケティングを担当します。
- エグゼクティブプロデューサー…アーティストの企画から予算決定・楽曲の最終確認など、活動全般にわたる統括を行います。
次に音楽プロデューサーになるまでと、気になる年収について解説していきましょう。
音楽プロデューサーになるには
音楽プロデューサーを目指すなら、主に2つの方法が考えられます。
1つは、音楽大学や音楽関係の専門学校を卒業し、レコード会社など音楽業界の会社に就職することです。そこでADなど下積みの仕事を経験し、昇格していく方法。
2つめは、自分自身がアーティストになり、誰かをプロデュースし世に送り出すパターンもあります。アーティストとしての経験や実績を、存分に活かしてプロデュースすることができます。
音楽プロデューサーの年収
音楽プロデューサーの年収は、レコード会社に所属しているのか、またはフリーランスかによって違いがあります。
レコード会社に所属し、正社員としてプロデューサー業をしている場合の年収は400~600万円ほど。下積みのアシスタントなら、300~400万円ほどになるでしょう。
一方、フリーランスで音楽プロデューサーなら、楽曲やプロジェクトごとに契約を結び、収入を得られる仕組みです。
ヒットの規模やアーティストの契約内容により色々。ダウンロード数や配信数などでも実績評価されるなら、売れっ子プロデューサーの年収はかなり高めと予想できます。
有名な音楽プロデューサー【日本編TOP10】
音楽プロデューサーの仕事について分かったところで、次は日本で有名な音楽プロデューサー10人をご紹介しましょう!
①秋元康
出典:AKB公式HP
秋元康さんは、高校在学中から放送作家として「ザ・ベストテン」などの番組を手掛け、その後も現在に至るまで、様々な形で日本の音楽シーンをけん引してきたと言えるでしょう。
- おニャン子クラブ
- AKB48グループ
- 坂道系グループ
1980年代にはとんねるずやおニャン子クラブ、2000年代に入るとAKB48をプロデュースし、これも大ヒットに。
AKB48に関しては握手会や総選挙などを企画し、「会いに行けるアイドル」という新しい戦略を生みだし、成功に導きました。
またプロデューサーとしてだけでなく作詞家・放送作家としても才能を発揮し、美空ひばりさんの「川の流れのように」の作詞も手掛けました。
②前山田健一(ヒャダイン)
出典:ヒャダイン公式HP
ヒャダインというインパクトのある名前は、ゲーム「ドラゴンクエスト」に出てくる呪文から付けたそうで、有名になったきっかけもゲーム音楽でした。
京都大学を卒業したヒャダインさんは2007年より本格的に音楽活動を始め、動画投稿サイト「ニコニコ動画」にアップした楽曲が話題を呼び、反響は世界中に広がりました。
現在でもアイドルやJ-POPのプロデュース・CM音楽など、日本のミュージックシーンで多岐にわたる活躍を続けています。
- AKB48
- SMAP
- ゆず
- ももいろクローバーZ
- 私立恵比寿中学
- でんぱ組.inc
ちなみにヒャダインさんは作曲・編曲などを独学で学んだり、作家としても活躍したりしている、驚くべきマルチプレイヤーです。
③坂本龍一
出典:commmons.com
坂本龍一さんは1970年にYMOを結成し、そのころ斬新だったテクノポップで一世を風靡しました。
1983年には自身も俳優として出演した映画「戦場のメリークリスマス」の音楽で英国アカデミー賞、87年には映画「ラストエンペラー」でアカデミー賞など多数受賞。
常に革新的な音楽を求めながら、日本のオリエンタリズムも大切にしたサウンド作りは世界中から支持されています。
- 中谷美紀
- 坂本美雨
- 矢野顕子
- 郷ひろみ
現在でもトップアーティストからのリスペクトが止まない坂本さんの人気は、単なる音楽プロデューサーの枠を超え、カリスマ的存在としてこれからも輝き続けるでしょう。
④つんく♂
つんく♂さんは1988年にバンド「シャ乱Q」を結成し、4曲のミリオンセラーを世に出しました。
1997年には「モーニング娘。」のプロデューサーとしても有名になり、中でも"LOVE マシーン"の大ヒットは社会現象にもなりました。
- モーニング娘。
- ハロー!プロジェクト
- 松浦亜弥
2000年代以降もハロー!プロジェクトの総合プロデュースや、多くのアーティストに楽曲提供を続けています。2023年5月現在ジャスラックの楽曲登録数は1950曲を超えるそうです。
⑤小室哲哉
1990年代の日本の音楽シーンを語るときに、欠かせないのが小室哲哉さんの存在でしょう。
1980年TM NETWORKとしてデビューしたのちプロデューサー業に転身し、篠原涼子さんや華原朋美さん、安室奈美恵さんなどを次々とプロデュース。
96年には自身のユニットglobeを手掛け、数々のヒット曲を連発しました。そのころのヒットチャート上位は「小室ファミリー」の独占状態でした。
- TRF
- 篠原涼子
- 観月ありさ
- 安室奈美恵
- hitomi
- H jungle with t
- 華原朋美
- globe
⑥朝倉大介
出典:DAISUKE ASAKURA Official Website
1980年代には新鮮だったデジタル・ミュージックに目を付けた朝倉大介さん。
TM NETWORKのサポートメンバーを経て91年からソロとして、また「access」のメンバーとして紅白歌合戦にも出場しました。
さらに1990年代には、T.M.Revolutionなど数々のアーティストのプロデューサー業も手掛けました。
- T.M.Revolution
- ゴールデンボンバー
- SHAZNA
- 雛形あきこ
ロックテイストのプロデュースを得意としながら、多彩なジャンルの楽曲提供を行っています。
⑦蔦谷好位置(つたや こういち)
Official髭男dismや米津玄師、miletなど若者に人気のアーティストへ、数多くの楽曲提供をしている蔦屋好位置(つたや こういち)さん。
元々はバンド「CANNABIS」のキーボーディストとしてデビューし、2009年以降はagehaspringsに所属しながら300曲以上の楽曲を手掛けてきました。
- Official髭男dism
- milet
- Superfly
- 米津玄師
- ゆず
- 木村カエラ
- 絢香
- back number
また幅広い音楽ジャンルの要素を取り入れた高いアレンジ力で、プロデューサー以外にもトラックメイカーや映画・CM音楽、クラシックコンサートの企画まで行っています。
⑧織田哲郎
出典:Tetsuro Oda OFFICIAL WEBSITE
高校時代にバンドを結成しエレキギターを担当した織田さんは、同時にオリジナル曲の制作もスタート。のちのプロデューサー業へと繋がっていきました。
1990年代にはTUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」、ZARDの「負けないで」など数々のヒット作を連発。B.B.クイーンズの「おどるポンポコリン」は日本レコード大賞を受賞しました。
- TUBE
- 相川七瀬
- B.B.クィーンズ
- 西城秀樹
- ZARD
たくさんのヒット曲を生みだした織田さんは、1990年代のヒットメーカーと言われ、小室哲哉さんと並ぶ名プロデューサーと言われています。
⑨亀田誠治
多数のアーティストをヒットへ導いている音楽プロデューサーの亀田誠治さん。小学生時代に聴いたビートルズで洋楽にハマり、中学生でプライベートFM局を開設するまでに。
早稲田大学卒業後はレコード会社に所属し、1999年に手掛けた椎名林檎のアルバムがミリオンセラーを連発したことにより、一気に音楽業界での有名人となりました。
- 椎名林檎
- 平井堅
- いきものがかり
- スピッツ
- スガシカオ
- JUJU
また、2004年には椎名林檎らと東京事変を結成し、ベーシストとして活動しました。
⑩松尾 潔
早稲田大学在学中からR&BやHIP HOPの研究者として執筆を重ね、ラジオやTVにも出演してきた松尾潔さん。
90年代には久保田利伸さんとの出会いをきっかけに音楽制作も行い、宇多田ヒカルさんなどのデビューにも携わったのち、数々のアーティストをプロデュースしてきました。
- 平井堅
- CHEMISTRY
- EXILE
- 東方神起
- JUJU
R&B音楽のパイオニアであり、また日本の音楽シーンに大きく貢献している名プロデューサーの1人です。
有名な音楽プロデューサー【若手編TOP5】
次は、プロデューサーの中でも若手と呼ばれる世代にはどんな人物がいるのか、5名の音楽プロデューサーをピックアップしてみましょう。
①中田ヤスタカ
中田ヤスタカさんはエレクトロシーンの第一人者で、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅさんたちを独自の世界観でプロデュースし、その名を世界にまで広めました。
中田さんは小学生からピアノで作曲を始め、中学生のときには親が使っていたパソコンで作曲をこなし、高校生ではヤマハの作曲コンテストに応募し受賞するまでに。
そのころ同郷出身の、こしじまとしこさんと「CAPSURE」を結成し、音楽の専門学校に進んだのちにプロデューサーになり、楽曲制作や映画のサウンドトラックなども手掛けています。
- Perfume
- きゃりーぱみゅぱみゅ
- SMAP
- 椎名林檎
また、プロデューサー以外にも、レジデントDJとしてクラブイベントの企画も行っています。
②小袋成彬(おぶくろ なりあき)
1991年生まれの音楽プロデューサー、小袋成彬(おぶくろなりあき)さん。大学在学中の2013年に音楽ユニット「N.O.R.K」を結成しボーカルをつとめていました。
解散後は音楽レーベル「TOKA」(旧Tokyo Recordings)を立ち上げ、アーティストのプロデュース、若手外部アーティストへの楽曲提供やCM音楽など多方面で活躍中です。
- 宇多田ヒカル
- adieu(上白石萌歌)
- 水曜日のカンパネラ
- DAOKO
また、自身もソロアーティストとして2018年にデビューし、制作活動を続けています。
③Yaffle(ヤッフル)
Yaffle(ヤッフル)こと小島裕規さんは小さい頃からピアノを習い、学生時代は吹奏楽部や軽音楽部を通して音楽に携わり続け、大学は国立音楽大学の作曲科に入学という経歴の持ち主です。
卒業後、小袋成彬さんと知り合いTOKAを設立したメンバーの一人となり、センスの良さと感度の高さから若手アーティストのプロデュースを多数手掛けています。
- 藤井風
- iri
- SIRUP
- adieu
また、映画音楽の制作も盛んに取り組み、「ナラタージュ」「響-HIBIKI-」などの音楽を担当。
2020年の「映画えんとつ町のプぺル」ではサウンドトラックを担当し、アニー賞で最優秀音楽賞にノミネートされました。
④JUNE
出典:FNMNL
1987年にソウルで生まれたJUNE(ジューン)。母親の影響でR&Bを聴いて育ち、18歳のときデモテープがプロデューサー松尾"KC"潔氏の目に止まり2006年に日本デビューしました。
アーティストとして活躍しながらプロデュース業も行い、個性的な音作りが話題となり、若手ながら数々のアーティストへ楽曲提供をしています。
- w-inds.
- KEITA
- 山下智久
- Little Glee Monster
一時は韓国のBig Hitエンターテインメントの練習生として所属し、その後プロデュースへとまわりBTSの「Not Today」「Lost」などを手掛けた人物でもあります。
⑤maeshima soshi
Rin音など、新世代アーティストへの楽曲提供で話題のmaeshima soshi。
自身も様々なアーティストとのコラボを実現し、プロデュースした楽曲のストリーミング総再生回数は1億回を超えています。
- V6
- Hey! Say! JUMP
- ももいろクローバーZ
- Rin音
- クボタカイ
プロデュースするのはジャニーズからラッパー、YouTuberまで多彩なジャンルに渡ります。
Z世代から圧倒的な人気を誇る、今注目の若手プロデューサーです。
有名な音楽プロデューサー【韓国編TOP3】
ここ数年、若い世代を中心にK-POPがトレンドを席巻しています。音楽にとどまらずファッションやフードなど、韓国の影響力は大きいですね。
世界進出もめざましいK-POPをリードする、韓国の音楽プロデューサーを3人ご紹介しましょう。
①パン・シヒョク
もはや世界的アーティストの地位を確立したと言えるBTS。音楽プロデューサー、パン・シヒョクは彼らの生みの親であり所属事務所「HYBE」の創設者です。
パン・シヒョクは名門ソウル大学を卒業したあと、作曲センスを認められJYPへ。プロデューサー兼作曲家として次々とヒットを飛ばします。
- BTS
- Wonder Girls
- god
- TOMORROW X TOGETHER
その後、独立して現在のHYBEを立ち上げ、8年後の2013年にBTSをデビューさせています。
現在も新しいアーティストを次々と送り出し、K-POPの名を世界に広めた名プロデューサーとなりました。
②パク・ジニョン
パク・ジニョンと聞いてピンと来ない方でも、オーディション番組でNiziUをプロデュースしたJ.Y.Parkと聞けば、分かるのではないでしょうか。
パク・ジニョンは韓国で四大事務所と言われている「JYPエンターテインメント」を設立し、現在も韓国の音楽シーンを代表するたくさんのアーティストをプロデュースしています。
- TWICE
- Stray Kids
- ITZY
- NiziU
- 2PM
また、パク・ジニョン氏自身も現役アーティストとして活躍しています。毎日ストイックなトレーニングを行っていることでも話題です。
そして、日本のアーティストでは桑田佳祐さんから多大なる影響を受けたことも明らかにしています。
③TEDDY
韓国の四大事務所の一つ、「YGエンターテインメント」の代表プロデューサーであるTEDDY(パク・テディ)。
自身は高校生のときYGオーディションに合格し「1TYM(ワンタイム)」としてデビュー。
2005年からはプロデューサーとなり、「YG」」所属アーティストの代表曲を手掛けてきました。
- BIGBANG
- BLACK PINK
- 2NE1
また、2021年のビルボード「21世紀最も優れたプロデューサー50人」で25番目に選出。韓国の音楽プロデューサーで最上位の快挙を達成しています。
有名な音楽プロデューサー【海外編TOP3】
最後は、世界的に有名な音楽プロデューサーを3人ご紹介しましょう。
①マックス・マーティン
マックス・マーティンは1971年スウェーデン出身の音楽プロデューサー。90年代より世界的ヒットを出し続けている、驚異のプロデューサー。
彼が手掛けたアーティストの楽曲は、一度聴いたら忘れられないキャッチ―さが魅力です。
その中から2012年にリリースされ全米一位となったテイラー・スウィフトの「We Are Never Ever Getting Back Together」をご紹介します。
Taylor Swift Official
- ブリトニー・スピアーズ
- ボン・ジョヴィ
- アリアナ・グランデ
- ジャスティン・ティンバーレイク
②ジョージ・マーティン
ジョージ・マーティンは、イギリスの音楽プロデューサーで、あのビートルズの作品をほとんど手掛けた「5人目のビートルズ」と言われる人物です。
The Beatles Official
1962年にビートルズを見出し、デビュー後もビートルズの魅力を存分に引き出すアレンジで、そのセンスは卓越していました。
- ビートルズ
- ポール・マッカートニー
- ウイングス
- エルトン・ジョン
- セリーヌ・ディオン
プロデューサーとして、また作曲家やミュージシャンとしても数えきれないほどの業績を残した人物です。
③リック・ルービン
リック・ルービンは1963年生まれで、アメリカの音楽プロデューサーでありレコードレーベルの創始者でもあります。
- アデル
- カニエ・ウェスト
- メタリカ
- ジェニー・キッシュ
- レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
- レディ・ガガ
ヒップホップアーティストから、レッド・ホット・チリ・ペッパーズなどロックバンドのプロデュースも手掛けた、世界的プロデューサー。
タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」にも選ばれました。
有名な音楽プロデューサーまとめ
音楽プロデューサーは、アーティストの音楽性や活動の方向性を決める大切な存在であることが分かりましたね!
日本でも若手からベテランまで、たくさんの音楽プロデューサーが活躍しています。
また急成長を続けるK-POPや海外の音楽プロデューサーなど、これからも目が離せないですね。