ジャニー喜多川さんは多くの男性アイドルを生み出すジャニーズ事務所の創設者です。
人を育てる優れたプロデュース力や売れる子を見極める人を見抜く力は、芸能界に大きな影響力を及ぼした言えるでしょう。
ジャニーさんの偉大さや親しみやすさは、ジャニーズ事務所に所属している様々な芸能人からテレビなどでよく語られています。
またジャニーさんは多くの名言も残しており、伝説のようにジャニーズ事務所の芸能人が語ってるのを耳にするでしょう。
この記事ではジャニー喜多川さんの心に響く名言や感動そして面白いエピソードをまとめてみました。
面白い名言の中にも深いメッセージが込められています。
残された数々のジャニーさんの名言を楽しんで一読してみてください。
- ジャニーさんのプロフィール
- 心に響く名言・面白名言
- 感動エピソード・面白エピソード
- ジャニーさんの名言「show must go on」
Contents
ジャニー喜多川さんのプロフィール
ジャニー喜多川さんは、1931年10月23日にアメリカのロサンゼルス生まれです。
生まれてまもなく日本に移住し、16歳まで大阪で育ちました。
その後アメリカに戻ったジャニーさんは1952年に再び来日し、約30人の少年野球チームの監督を勤めます。
1962年にジャニーさん自身が作った野球チームの中の少年4人によって、最初のグループであるジャニーズを結成しジャニーズ事務所を創業しました。
その後、「フォーリーブス」・「たのきんトリオ」・「シブがき隊」・「少年隊」・「光GENJI」などのアイドルグループを次々に結成し、デビューさせ大ヒットさせます。
2019年に87歳で亡くなり、ジャニーズ事務所に所属している芸能人だけにとどまらず、多くの関係者やファンから悲しみの声が寄せられました。
国民的アイドルグループである「SMAP」や「嵐」を誕生させ、多くの人々に愛されたジャニーさんの名言を次でご紹介します
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ジャニーさんの心に響く名言3選!
数々の名言を残しているジャニーさんの言葉は、多くのジャニーズの芸能人の心に今も響いているでしょう。
その中から心に響く名言3選をご紹介します。
ジャニーさんの心に響く名言①
戦略は、時代の流れの中で決めればいい
- 「戦略は、時代の流れの中で決めればいい」
ジャニーさんは常に時代の流れを見ながら、新しいグループを結成してきました。
アイドル全盛期だった時代には、ローラースケートを履いた光GENJIを大ブレイクさせました。
アイドル全盛期が終わった後、SMAPをマルチタレント型の個性的なグループとしてバラエティー番組にも対応できるタレントとして売り出しています。
その後のグループもその時代に応じたバラエティー番組にも対応できる個性的なグループを、次々と結成し成功を納めました。
ジャニーさんの心に響く名言②
YOU達ほんとつまらない
- 「YOU達ほんとつまらない」
King&PrinceがまだジャニーズJr.として活動していた頃の話です。
当時MCをしていて15分話さなけれならないところを、5分しか話ができなかった場面があったそうです。
ジャニーさんから「YOU達ほんとつまらない」と怒られたと、当時を振り返って平野紫耀さんが語っています。
平野さんは「悔しかった」と、さらに神宮寺さんも「つまんないって言われるのが1番悔しいからですね」と振り返っています。
ジャニーさんの言葉にくやしい思いをしたメンバーは、デビュー後には綿密な打合せを繰り返しMCの技術を上げ、今では打合せなしでMCに挑んでいるそうです。
ジャニーさんから愛のこもった、まだこれからのKing&Princeを成功へ導くために贈られた言葉であったと言えるでしょう。
ジャニーさんの心に響く名言③
過去は振り返るな
- 「過去は振り返るな」
嵐がジャニーさんに言われた言葉であり、相葉雅紀さんが印象に残っている言葉だそうです。
嵐は「YOU達には未来しかないんだよ!50歳くらいになったら振り返ればいい」とジャニーさんに言われたそうです。
嵐の二宮さんもジャニーさんに「YOU達には未来しかない」と言われており、今は過去を振り返っている場合ではないと思うようになったと語っています。
失敗などを恐れずに過去を振り返らず、どんどん先にチャレンジしていって欲しいといった気持ちが読み取れます。
ジャニーさんの面白名言3選!
ジャニーズ事務所の芸能人から親しまれているジャニーさんには、面白い名言もたくさんあります。
ここではジャニーさんの面白名言3選をご紹介します。
ジャニーさんの面白名言①
YOUは中の上だよ
- 「YOUは中の上だよ」
ジャニーズのオーディションの面接を受けていたKAT-TUNの中丸雄一さんは、「ジャニーズはかっこよくないと入れないのですか?」と聞きました。
「YOUは自分のことどう思うの?」とジャニーさんから逆に聞かれた中丸さんは、「中の下ですかね」と答えたそうです。
ジャニーさんは中丸さんに、「YOUは中の上だよ」と言われ大変複雑な気持ちになったと語っています。
ジャニーさんの面白名言②
Snow Man、夏になったらどうしようかな。
- 「スノーマン、夏になったらどうしようかな。ミスサマーマンにしようかな。」
Snow Manが結成してしばらくたったころにKis-My-Ft2の藤ヶ谷太輔さんがジャニーさんから言われた言葉です。
もともとSnow Manは「Mis Snow Man」というグループ名で、当時のメンバーの頭文字をとったそうです。
その後メンバーの入れ替わりなどがあり、滝沢秀明さんによって「Snow Man」となまりました。
夏になったら「ミスサマーマン」とは、ジャニーさんならではのユーモア―のある考えです。
ジャニーさんの面白名言③
なんで電話くれないの?誕生日なのに
- 「なんで電話くれないの?誕生日なのに」
二宮和也さんがジャニーさんからかかってきた電話で言われた言葉です。
この日はジャニーさんの誕生日であり、二宮さんからお祝いの電話が欲しかったのかもしれません。
ジャニーさんはなかなかかわいい面もあるようです。
ジャニーさんの感動エピソード
次々と人気アイドルグループを生み出しているジャニーさんですが、感動エピソードも多くあります。
数々のジャニーさんの感動エピソードの中から3選をご紹介します。
ジャニーさんの感動エピソード①
1枚の写真で10年後が見える
ジャニーズオーディションに送られてきた膨大な数の履歴書と写真を、ジャニーさん自ら見るそうです。
ジャニーさんはものすごいスピードで履歴書をめくっていたと、面接官として参加していた滝沢秀明さんが語っています。
ジャニーさんには「1枚の写真でその子の十年後が見える」そうです。
虚を衝かれた少年たちはサングラスを外したり、髪型を整えたり、姿勢を正したりしながら、一様に緊張した眼差しで男を見つめた。しかし、態度がまったく変わらない少年が一人だけいた。彼は少しふてぶてしく見えるほどリラックスしていた。ジャニーはそれを見逃さなかった。少年の名前は松岡昌宏。のちにTOKIOのメンバーとして少女たちの熱い視線を集める彼も、まだ小学校に通う11歳の少年であった。
ジャニーさんの感動エピソード②
14歳の二宮和也の教育
二宮和成さんに贈られたジャニーさんの感動エピソードです。
当時14歳だった二宮さんはまだ演技経験がないなかで、『天城越え』に主人公として抜擢されました。
二宮さんは『天城越え』の演出家である大岡進氏を「大変厳しい方であった」と振り返っています。
心の葛藤を描く「進むか」「戻るか」のわずか数秒のシーンを、丸2日かけて何度も撮り直して撮影したそうです。
二宮さんは「俳優人生の中で最も過酷な2日間だった」と語っています。
この過酷な2日間を「後に発覚したのですが、ジャニーさんから大岡さんにお願いされていた」と二宮さんは語っています。
「芝居も何もできないだろうから、現場のルールや大人の中で働くマナー、生き様だけでも叩き込んでくれ」とジャニーさんが大岡さんにお願いしていたそうです。
ジャニーさんの感動エピソード③
KAT-TUNの喧嘩
中丸雄一さんが語っていたジャニーさんの感動エピソードです。
KAT-TUNがまだ結成したての頃、ステージに出る際に中丸さんはマイクの管理でミスをしてしまい、マイクなしでステージに登場したそうです。
マイクがなかったため歌を歌えずに曲が終わり、ステージ裏に戻りました。
他のメンバーから何があったのか聞かれ事情を説明すると、一番近くにいたのに臨機応変に対応しなかったと上田さんを責めたそうです。
上田さんも亀梨さんに気が付いていたのに何もしなかったと反論したそうです。
上田さんと亀梨さんは殴り合いの喧嘩にまで発展したと語っています。
ジャニーさんの耳にも喧嘩の件が届き、ジャニーさんは2人を呼び出したそうです。
ジャニーさんは2人に「YOUたちは、そういうグループのことでケンカができることは素晴らしいよ」「もう仲直りしよう」と握手をさせたそうです。
ジャニーさんの面白エピソード
ジャニーさんの面白エピソードも、ジャニーズ事務所の芸能人からテレビなどでよく耳にします。
ここではジャニーさんの面白エピソードを3選ご紹介します。
ジャニーさんの面白エピソード①
嵐を新居に招いた際の勘違い
ジャニーさんが引っ越しをした際に、嵐の松本潤さん達に引っ越しをしたジャニーさんの家がすごいから見に来て欲しいと言ったそうです。
嵐のメンバーはジャニーさんの家にいくために、松本さんはジャニーさんの車に乗り込んでいました。
移動中にジャニーさんは松本さんに、「やばい僕らつけられてるよ!絶対あれ記者だよ、ヤバイ!」と言い、動揺しはじめたそうです。
しかし、後ろを走っていた車は嵐メンバーの移動車だったとか。
ジャニーさんの面白エピソード②
中丸雄一のボイスパーカッション
中丸雄一さんがボイスパーカッションをはじめた頃、KAT-TUNのメンバーは中丸さんのボイスパーカッションを聞きなれていました。
ある日ジャニーさんがKAT-TUNのメンバーに何か音がなっていないかと聞いたそうです。
中丸さんがボイスパーカッションをしていましたが、KAT-TUNのメンバーはジャニーさんが中丸さんのボイスパーカッションの音を言っているとは思っていませんでした。
KAT-TUNのメンバーが何も聞こえないと答えると、ジャニーさんは「え!?僕だけ聞こえるの!?時限爆弾だー!!!」と慌てふためいたそうです。
確かにボイスパーカッションは、聞きようによっては時限爆弾の音にも聞こえるかもしれません。
その後もボイスパーカッションをしている中丸さんは、ジャニーさんに「YOUおかしくなったのかと思った」と言われたそうです。
ジャニーさんの面白エピソード③
井ノ原快彦の「V」
V6の「V」はもともとは「Versus(対決)」という意味で付けられたそうですが、V6の「V」にジャニーさんは6つの意味を付けようと言ったそうです。
もともと「Versus(対決)」の意味を含んでいるので「VersusのV」、バレーボールの応援ソングでデビューをしているので「VolleyballのV」。
阪本昌行さんの実家が八百屋であるため「VegetableのV」。
長野博さんの実家が自転車屋であり自転車は英語で「Bicycle」なのですが、ジャニーさんは「これもVだよ」と言ったそうです。
井ノ原快彦さんが「自分は?」と聞いたところ、ジャニーさんはなんと「オマエはVeteran(ベテラン)だ」と答えたそうです。
井ノ原は他にもジャニーさんが持っていたガムをもらえると勘違いし手を出したところ、「その度胸がいいね」とジャニーさんから言われています。
見た目やたたずまいがベテランを醸し出すようなオーラがあったのかもしれません。
ジャニーさんの名言「show must go on」
ジャニーさんの名言であり、座右の銘であるのが「show must go on」です。
「show must go on」とは「何があってもショーは続けなければならない」という意味です。
もともとはアメリカのショービジネスで使われていた言葉であり、大ヒットをしても打ち切りになっても、何があってもショーを続けていくといった意味が込められています。
「show must go on」はイギリスのロックバンド、クイーンの楽曲のタイトルになっている言葉です。
クイーンの曲はボーカルのフレディが病にかかり、死期が近づく中で「何があっても歌い続ける」といった気持ちのこもった楽曲であると言われています。
ジャニーさんは「show must go on」というセリフを、堂本光一さんの舞台『SHOCK』をはじめHey! Say! JUMPから受け継がれている『JOHNNYS’ World』で使っています。
KinKi Kidsの堂本光一さんはジャニーさんの追悼の際に、『Show must go onの言葉を胸にこれからも…』と言葉を残しました。
ジャニーさんの人材育成法
ジャニー喜多川さんは2011年にギネス世界記録認定されています。
ジャニーさんがいたからこそ、数々の男性アイドルグループが誕生したと言っても過言ではないでしょう。
ジャニーさんは決して「ここを学べ」「ここを見ろ」というようなことは言わないそうです。
みんなが同じところを見てしまうと、みんなが同じようになってしまうといったジャニーさんの考えからきています。
現場で学び、自分で発見するのがジャニーさんの方針であるようです。
また一人一人の性格も見抜いて、褒めて育つ子と競争心をあおって伸ばす子を見極めて接していたそうです。
ジャニーさんの名言まとめ
ジャニーさんは大変多くの男性人気アイドルグループを誕生させ、偉大な功績を残しています。
ジャニーさんは偉大さだけでなくたくさんの名言も残し、これからもジャニーズ事務所に所属している芸能人によって語り継がれていくでしょう。
数々の名言の中にはただただ面白いジャニーさんの発言もあれば、それぞれの個性を考えての言葉もあります。
これからもジャニーさんはジャニーズ事務所の芸能人をはじめ、多くの人に愛され続けていくでしょう。